Interview #01
 
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Q. この地域を思い、「尽くせる」人が多い陸前高田。その理由・情熱はどこから?

―お話を聞いていると、橋詰さんは、お客さんや地域に、「高田のために」みたいなことをちゃんと見せたうえで、ぶれない、誠実な商いをしようとしている。なんでそこまで「高田のために」と考えられるんだろう? 出て行きたいと考えたことはありませんか。

橋詰:あるよ、いっぱい。震災後だって、こうやって流されて、借金も抱えて、心折れて、実際「他へ行って働いたほうがいいよな」と思った時もあったよ。が、しかし、だよね。今ここで必死に根を張ってやっている。高田に残っている理由の一番は、自分たちのためじゃなくて、自分たちの子どもと、その次の世代のため。彼らが成長したときに復興していたい。それと、犠牲になった人たちの代わりに自分たちが生き残っているんだから、という使命みたいなものがあるんだよな。

―そもそも高田って、どういう場所ですか? 商売のためだから、地域に貢献するとかじゃなくて、DNAに組み込まれているんじゃないかというくらい、「高田のため」に何でも差し出すことができる人がすごく多いと思うんですけど。

橋詰:確かに熱いよね。お祭り文化があるからね、古いし多い。「*けんか七夕」があって、お神輿があって。獅子舞もあるし、五年祭、七年祭もある。お祭りがあるたびに、各地区、集落で集まって練習するから、地区ごとの団結というのがあるんだよね。町民運動会という、町単位でやる本気の運動会もあるよ。地区に分かれてリレーしたりムカデ競争したりね、すごい必死で。
そんなふうだから、商売にしても、本当に何かをしようっていうところに接点があれば「一緒にやっていこう」となるしね。

けんか七夕 2010.8.7

―震災で失ったものって、いっぱいあるじゃないですか。逆に、震災があったからこそ得たものって何かありますか?

橋詰:一番は「人」ですよね。一番失ったものでもあるけれど。朝市とかやって来たなかで、新しい出会いがすごくいっぱいあった。今は整理がつかないけど、でも何かつながっている気がする。もし他の場所でこういうことがあったときに、今度は支えたいとか、そういう思いになる。

あとは、「商売」です。震災前から、とにかくこの町を何とかするんだと動いてきた経営者仲間*(同友会)が集まって、経営者としての勉強というか、人としてどう生きるかという学びをずっとやって来た。だからこそ、震災があっても「1社もつぶさねえ」ってみんな言い切れた。それだけ仲間、地域というものを大事にして経営していこうという想いがあるから。それがあったから。
それがなかったら、それこそやめていたと思うんだよ。(了)

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インフォメーション

橋勝商店「和笑輪(わわわ)」

陸前高田市高田町字鳴石51-132

和笑輪(橋勝商店)Facebookページ

鳴石団地の住宅街の中にあり、「用はないけど顔見たいから来たよ~」とご近所さんで賑わう。こちらは人のいない一瞬を押さえた写真。


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「橋詰 真司」さんと「友廣 裕一」さん

橋詰さん、問屋からお惣菜屋への意外なシフトチェンジ、その理由は?(友廣)

橋詰さんのお店はこのあたり

橋詰さんのお店、和笑輪までの地図

 

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