Interview #07
 
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Q. 「地域医療」の医者不足には理由があるのでしょうか?

―10年間、県立高田病院を率いてきて、これからの地域医療はどうなっていくべきだとお考えですか?

写真:石木先生

石木:少し遡って話をすると、昭和50年の真ん中から60年の前半ぐらいまで、医療というのは、小さい自治体単位で完結するというものだったのね。町立病院があったり、村立病院があったり、市立病院があったり。小さい自治体でどういう病院づくりをするかとかいうことが基本だったんでないかと思う。

その頃までは、特に内科・外科系が、あまり専門分化していなくて、例えば外科の先生が2、3人いれば、頭の先から足の先まで手術しちゃう、それこそ「ブラックジャック」みたいな先生がいてもおかしくないくらいの時代だった。

私が、東北大学の、(もとは肺結核の研究をしていた)「抗酸菌病研究所」の外科の医局に入った頃、私たちは肺だけじゃなくて、心臓の手術も、腹部の手術も外科全般をやっていたんだよね。他に第一外科と第二外科があったんだけど、それぞれ主に担当する分野がありながらも、外科全般をやれていたのね。

でも、その頃から専門分化の流れは始まっていて、昭和60年ごろ、私が研究所を出て一般の病院に出るあたりには、うちの医局の中でもおなかの手術の数は激減していた。私が出る直前ぐらいに、「先生、うちで消化器の手術をやるのはどうかなと思うんだけれども、どう思いますか」と聞かれたことがあって。自分としては、肺の外科医になるつもりで入ったわけではなくて、一般の外科医のつもりで入ったわけだから、ちょっと驚いたね。

―専門細分化が進むことは自然な流れだったのでしょうか?

石木:うん、細分化の流れは止まらなくて、もっと細かく、細かく分かれていった。乳腺だけ、甲状腺だけ、食道だけ見る先生たちだとか、それぞれの専門にどんどん特化していったんだね。そうすると手術の成功率が、上がってくる。 例えば、うちの医局では年に2〜3回しかない心臓の手術も、心臓外科専門でやっている病院は、週に2回とか3回とか手術をやるわけだ。それは経験則が全然違うわけでしょう。効率良く、しかも安全に医療を提供するということで言うと、どうしても細分化していかないといけないというのがあったんだと思う。

―なるほど。専門細分化が進むと、どういうことが起こってくるんですか?

石木:そういう流れだからさ、例えば私が来る前は130床ほどあった高田病院の例でいうと、内科だけ考えても、少なくても、消化器の内科、呼吸器の内科、脳神経内科、循環器の内科、この4つは最低必要だよね。でもこれだけだと足りないのさ。糖尿病や腎臓や、全部網羅するとなると、10人ぐらいの先生がいなきゃならないわけだ。

一方、患者さんの数を考えてみるとね、例えば130床全部が埋まったとして、病床を占めるのは、呼吸器の患者さんなら20人ぐらい、消化器の患者さんは20人行かないかもしれない。腎臓の患者さんや神経内科の患者さんは、たぶんもっと少ない。
そうするとさ、先生1人当たりの「守るべき患者さん」の数が少なくなっちゃうわけだから、専門医としては勉強にならないのさ。病院としては、人件費がいっぱいかかる割にはペイしない。だから、症例の少ない所に積極的に来る医者も少ない、ということになるわけだ。

写真:石木先生と富山さん

―地域の小さな病院には、お医者さんが集まりにくくなるんですね。

石木:そういう流れの中になってしまうと、今まで市町村単位で完結しようとしていた医療は、効率が悪すぎるということになって、今度は国のほうで「二次医療圏」というのをつくった。「二次医療圏」は、市、町、村ぐらいを大きな1つのエリアと捉えて、そこで完結する医療圏ということです。圏内のどこかに基幹病院というのをつくって、ほかの病院は、基幹病院を補助する、サポートする、みたいな格好の流れになったんだね。

―それはいつごろからですか。

石木:私もよく分からないんだけど、恐らく昭和の終わりから平成の初めぐらい。

―20年ぐらい前ですね。

石木:なんだと思います。そしてそれは悪いことではないと思うんだけれども、基幹病院から離れたところでは、住民が納得しないのさ
例えば、私が陸前高田に来た時は、婦人科がなくなって、医者も4人になってしまったような頃だけれども、大船渡はその当時、救急センターが立ち上がった直後くらいかな。40人から50人くらいの医者がいて、最新鋭のいろんな機械もあって。何かピカピカしている、みたいな。「やっぱり、診てもらうんだったら大船渡でなきゃ」というふうな雰囲気だよね。でも「なんで大船渡だけなの?高田にも、循環器も欲しいし、あれもこれも欲しいし」というのが高田住民の希望だったりするわけ。

写真:移動婦人科診療車多くの支援・協力があって、2013年4月より導入された、高田病院の移動婦人科診療車。婦人科診療の再開は9年ぶりという。

―でも、そうしたピカピカの病院がいくつも作れるわけはない。

石木:うん、だから、それぞれの病院が、大きい枠組みの中での「役割」みたいなのを考え、住民にも説明しながら、病院づくりをしていかないと、持たないと思うんですね。そのためには、要するに自分の専門にとらわれないで、いろんな診療をしながら、住民のニーズを理解し、応えていく、ということでないかなと。

じゃあ、高田病院の役割は何かと考えたら、やっぱり高齢者なんです。私が来た時、患者さんの平均年齢が85くらい、外来の患者さんの平均年齢が70弱ぐらいだったから、ある程度、高齢者にターゲットを絞ったような格好の病院づくりをするのが妥当なんでないかなと思った。平成16年、来た年の真ん中ぐらいからそういう考えで、動いていったら、それが上手く機能するようになったのさ。

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