


―僕、最初「菅久」は和菓子専門だと思っていたんです。和菓子屋「菅久」の菅野秀一郎を応援しようと思っていたから、他の和菓子店のお菓子は一切食べないでいたのに、菅野君の専門は洋菓子だと分って「あれ?」っていう(笑)。僕、酒飲みだけど、極めてケーキ大好きなので、結果よかったんだけどね。
それで、115年も続いた「菅久」はどんなお店だったの?
菅野:明治時代に「びっこパン」を大ヒットさせたパン屋として始まって、長く地元の人たちに愛されてきた店です。震災前は、お客さまの要望に応じて、色々なお菓子を出していました。和菓子の他、甘食とかマドレーヌとかチーズケーキなんかも評判が良かったんですよ。
― え、「びっこパン」?
菅野:昔々のことを話してもあれですけど、うちのご先祖様が、菅野久四郎と言いまして、「菅久」の菅と久ですけど。容姿端麗だったとかで、騎馬に乗って、天皇陛下の護衛にあたる近衛兵だったのだそうです。ところが、日清戦争の頃に事故に遭い、馬から落ちて足が動かなくなったんです。障害者になっちゃって、このまま地元に帰るわけにもいかないからって、東京でパンの修業をしたんですね。そうして、足が動かないから、田んぼを売って、その金で東京から高田まで人力車で帰ってきたんだそうです。
最初は、家にかまどを作って、パンを焼いて高田の町に行商して歩いたそうです。放送禁止なんでしょうけど、「びっこパン」って言っていたらしい。要は、びっこを引いて売りに来ていたから。それが爆発的に売れたんですって。パンはないですからね、明治24年〜30年くらいは。儲けたお金で大町に土地を買って、それが菅久商店のはじまりです。
震災前の菅久菓子店
― へぇ。製パン業からはじまったんだ。
菅野:はい。震災前の菅久でも、甘食は人気があったんですよ。
横田町にいる佐々木さんというお得意さんが、病気で手術をして、あまりモノを食えなくなったんですけど、「菅久の甘食だけ食える」って言って、よく奥さんがまとめ買いしてくれたんです。震災後、ある支援プロジェクトで東京の調理場を借りて甘食を焼かせていただくことがあったので、佐々木さんにも届けに行ったんですけど、それはとても喜んでくれて。「いつかまた、店、早ければ来年始めますからね」と言ってたのに、この冬(2013年)に亡くなってしまって。食べさせてあげることできなくて、それは悔やんでいますね。焦ってもしょうがないんですけど、もっと早く仕事を再開したかったなと思います。
復活した「菅久」の甘食
― ここまで来たら焦っても仕方ないよ。しっかり準備をして、いこう。
菅野:はい、そうですね。あと、チーズケーキもリピーターが多かった商品です。材料によるところが大きいから、クリームチーズの質とか生クリームの質とか、なかなか難しくて、おれも失敗したことが何度もあるんですけど、だからこそ、材料にはこだわりたい。お客さんが美味しいと言ってくれていた味は絶対に落としたくないと思っているんです。
― いいね。