Interview #08
 
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Q. 東京に帰らずそのまま高田に居続けたのはどうして?

―里美さんがお仕事していらっしゃる組織、なつかしい未来創造は、どういう会社ですか?

写真:なつかしい未来創造株式会社のメンバーなつかしい未来創造株式会社のメンバー

中野:震災があった年の11月、ここ陸前高田に立ち上がった会社です。仕事をつくること、出会いをつくること、そして良い社会資本を残すという、3つのことを軸として、そのために、今は国からいろいろな補助金を受けながら、事業をいくつか走らせています。

―どうして会社をつくることになったの?

中野:最終期のインターンシップの頃、高田の社長さんたちと私たちは、高田の復興まちづくりについて勉強会を重ねていたんです。私たちは「インターンシップが終わるからって帰れない」、「こんなところまでやったのに、まだこれからなのに」、という思いでいたし、社長さんたちも「まだ帰らないよね?」と言ってくださって。で、これから10年後の復興を目標に、一緒に会社をつくろうという話になった。そして、創っていきたい未来は、陸前高田にずっとあり続けた、文化や心、人のつながりを大切にする、なつかしくて素晴らしい未来なんだ、ということで一致して。
私なんか、高田の社長さんたちに恋しちゃっている状態でしたから、帰るという発想がなくて。会社設立と同じ頃、住民票をこっちに移しました。

写真:中野さん

―震災のあった年の11月ですね?

中野:はい。私にとって、もともと住む場所は、それほど重要ではなかったんです。こっちで生活するならこっちに税金を落としたいという、ごく自然な流れで。母親にも事後報告で、「あ、そういえば、住民票、もう移しちゃってね。」と言ったら、「えっ、えっ!」と母親がびっくりして、私もびっくりした、みたいな。
大好きな高田で、恋しちゃった人たちと一緒に生きていきたいな、という思いを強くしていた頃でした。

―「恋しちゃった」それ、すごく素敵ですね。

中野:皆さん、結婚していたのがほんとに残念で。私、当時、独身だったので、母親が、「そんなに岩手ばかり行って。岩手でいい人見つけなさい」とか言われていたくらいです。「でも、お母さん、みんな結婚していて、3人ぐらい子どもがいるんだよ」と。
みなさん同じ年代なんですけど、人間力があって、芯があって真っ直ぐで。ほんとにステキだなと思いましたね。

―わかるな。こちらに来ると本当にステキな男性に出合いますよね。

写真:土屋さん

中野:ちゃんと大事なものを分かっているような気がして。ある先生が、八木澤商店の河野さんの話を聞いて、「言葉が力強いですね。それは真剣に生きている証拠ですね」とおっしゃって、納得しました。あ、そうか。だからそうやって、恥ずかしくなるような青臭いことを話しても、こっちがドキッとさせられてしまうんだなって。そういう生き方をしている人が多いと思います。
あと、お母さんたちがとことん明るい。私がお会いしているお母さんたちは、大変なことをものともせず、それを笑い飛ばして進んでいくたくましさが、すごい。とにかくずっと笑っているんですね。

―大変なのにね。

中野:そうなんです。それから、物々交換が日常的にあるのもいいんですよね。こないだも農家のタケダさんが、杖をつきながらお米を担いでいらして、「これ、結婚祝い」とかって。「こういうのが一番かなと思って」とか言って。

―嬉しいね。

中野:「すみません。ありがとうございます」といって受け取って。で、タケダさんに何をお返ししようかなと考えるのがまた楽しいですし。そういう、思い、思われ、みたいなところが嬉しいんです。

―あったかいよね。

中野:私も、最近は、高田から出て、どこかへ仕事で行ったりしたら「あー、早く帰りたい」って思います。あと、東京と行ったり来たりが激しかった時に、「中野さん、忙しいのに何でそんなにウキウキしているの?」「だって、これから久しぶりに役員会じゃないですか。みんなに会えるじゃないですか」って言ったら、「気持ち悪い」って言われて(笑)。

写真:中野さん

―(笑)「気持ち悪い」はひどいね。恋しているんだもんね。

中野:そうですよ。

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