


―僕は、少し前から陸前高田に関わらせてもらっているけれども、「地域」でなく「人」に会いに来ている感覚があります。その中でも祐輔さんは重要人物だなと思ってきたんだけど、もうじき高田を離れるんですよね。
陸前高田物産センター
鈴木:聞きました?
―はい。
鈴木:県北部の水産加工会社さんに行くことになりました。うちの物産センターの仕入れ先で、震災以前から「会社に来て手伝ってけろ」と言われていたんです。
―作る側に回るというのは、結構大きな変化ですね。
鈴木:うん、大きな変化です。作る側から売る側に回る人は結構いるんですけど、売る側から作る側に回る人って、そんなに多いとは思わない。私としては、それがかえっていいのかなと。
―たとえばどんなところが?
鈴木:だって、どういう所にどういう商品を提案すればいいか、頭の中に詰まってますから。 物産センターのような中間の流通業をやっていると、売ることの大変さが身に染みてわかるんです。醤油も売らなきゃいけない、ジュースも売らなきゃいけない、パスタも石けんも売らなくちゃいけない。買う人の都合も、商品のことも、全部に知識がないといけないじゃないですか。この知識が作り手側に行って活かされるというのは、かなりでかいです。
―いろいろ経験できそうですね。
鈴木:いずれは高田に、水産加工の技術を持ち込んで、高田独自の食材を使った水産加工品が作れればベストです。陸前高田は観光地で、養殖業が盛んだけど、加工業がなかった。例えばいい牡蠣がとれて、それを生のまま築地に出荷するのもいいんですけど、仕事としての面白さや新鮮味がないから、跡を継ぐ人がいないんです。
私は、生産者の跡継ぎを増やしたいという思いが強いんです。「あの商品の牡蠣はおまえのオヤジが作ってるんだってな」と独自に開発した商品が話題になれば、敏感な若い人たちはそこを感じ取ります。高田に残って生産者の跡を継いでくれるはずなんです。
だから私は、別に高田から離れるという感覚はなくて、いずれ戻ってきて水産加工業を高田に、と思っています。
―何年先になるかは分からないけど?
鈴木:いや、5年後ですね。目標を立てて、計画を立てないとダメな人なんです。
―偉い。もう決めているんだ。
鈴木:まだ若くてフットワークがいいうちに、あちこち行っておかないと。それに、10年、20年もたって帰ってきたら「あんなやつ、いたっけな」と忘れられそうじゃないですか!