Interview #10
 

物産センターから水産加工会社へ転職を決意。
その先に大きな目標があるようだけど?(西村)

インタビュー:2013/04/20
インタビュアー 西村佳哲さん:顧客とも加工者とも生産者ともやりとりができる。そういう流通をやってみたい。 鈴木祐輔さん:「こういうものをつくったら売れるよ」という情報に耳を傾けた上で、商品を開発してほしいんです。 西村 佳哲(にしむら よしあき)さんのプロフィール 鈴木 祐輔(すずき ゆうすけ)さんのプロフィール
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Q. 陸前高田の物産センターを辞めて、別の町に仕事を移すのはどうして?

―僕は、少し前から陸前高田に関わらせてもらっているけれども、「地域」でなく「人」に会いに来ている感覚があります。その中でも祐輔さんは重要人物だなと思ってきたんだけど、もうじき高田を離れるんですよね。

写真:陸前高田物産センター陸前高田物産センター

鈴木:聞きました?

―はい。

鈴木:県北部の水産加工会社さんに行くことになりました。うちの物産センターの仕入れ先で、震災以前から「会社に来て手伝ってけろ」と言われていたんです。

―作る側に回るというのは、結構大きな変化ですね。

鈴木:うん、大きな変化です。作る側から売る側に回る人は結構いるんですけど、売る側から作る側に回る人って、そんなに多いとは思わない。私としては、それがかえっていいのかなと。

―たとえばどんなところが?

鈴木:だって、どういう所にどういう商品を提案すればいいか、頭の中に詰まってますから。 物産センターのような中間の流通業をやっていると、売ることの大変さが身に染みてわかるんです。醤油も売らなきゃいけない、ジュースも売らなきゃいけない、パスタも石けんも売らなくちゃいけない。買う人の都合も、商品のことも、全部に知識がないといけないじゃないですか。この知識が作り手側に行って活かされるというのは、かなりでかいです。

写真:鈴木さん

―いろいろ経験できそうですね。

鈴木:いずれは高田に、水産加工の技術を持ち込んで、高田独自の食材を使った水産加工品が作れればベストです。陸前高田は観光地で、養殖業が盛んだけど、加工業がなかった。例えばいい牡蠣がとれて、それを生のまま築地に出荷するのもいいんですけど、仕事としての面白さや新鮮味がないから、跡を継ぐ人がいないんです。
私は、生産者の跡継ぎを増やしたいという思いが強いんです。「あの商品の牡蠣はおまえのオヤジが作ってるんだってな」と独自に開発した商品が話題になれば、敏感な若い人たちはそこを感じ取ります。高田に残って生産者の跡を継いでくれるはずなんです。
だから私は、別に高田から離れるという感覚はなくて、いずれ戻ってきて水産加工業を高田に、と思っています。

―何年先になるかは分からないけど?

鈴木:いや、5年後ですね。目標を立てて、計画を立てないとダメな人なんです。

―偉い。もう決めているんだ。

鈴木:まだ若くてフットワークがいいうちに、あちこち行っておかないと。それに、10年、20年もたって帰ってきたら「あんなやつ、いたっけな」と忘れられそうじゃないですか!

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