Interview #03
 
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Q. 明け方の陸前高田を歩きながら号泣したってホント?

―地震のときはどう思った?
陸前高田に辿り着くまでにはどんな心境の変化があったの?

谷沿:僕は札幌のスキーのメーカーの工場にいたんですけど、ものすごく揺れて、いろんなものが落ちてきました。帰宅して、普段あまり観ないテレビを押し入れから引っ張り出して、涙も出ないし、正直、同じ日本だと思わないような映像です。僕にはその時から無力感みたいなものがありました。「」みたいな言葉が出てきたりだとか、いろんな所で急に「募金」と動きだしたりすることにも、違和感があって。ほんとに不思議な2、3カ月でしたね。何かドヨンとした。

―その2、3カ月、無力感を覚えて、行動に移ったのはいつなの?

谷沿:実は、行動に移ったのは、 ほんとに陸前高田に移住してきてからです。きっかけは、さっきの中田源の「*瓦Re:KEYHOLDER(以下、ガレキーホルダー)」です。中田とは3年ほど会っていなかったんですが、Facebookでつながっていました。中田は(2011年)7月あたりから、被災地に入って、フェイスブックやブログで発信し始めていたので、それを通してテレビでは伝わらないこちらの状況を知ることができました。僕はちょっとあまのじゃくなところがあるから、「募金」じゃないんじゃないか、ただお金出せばいいってことじゃないと、そうしたモヤモヤが、何か形にならないかなと思っていた矢先に、ガレキーホルダーが出てきて。だから、いずれ、一度は踏み入れてみようという気はありました。

瓦Re:KEYHOLDER(ガレキーホルダー)
瓦Re:KEYHOLDER(ガレキーホルダー)

―「寄付じゃない、自分の行動で」ということだね。
いつ、こっちへ来たんだっけ。

谷沿:僕は、ちょうど1年後の3月12日に来ました。実は、最初そのタイミングではこっちに移住する気じゃなくて帯広に帰るつもりだったんです。震災も、祖父のこともあったので、そろそろ実家に帰って、家業をやろうかなと。だけど、自分はまだ北海道しか見ていない、まだ世界が狭い、と思うとすぐには帰れなくて、1カ月ほど一人旅をするんです。30前で情けないんですけど。まずは屋久島に渡って、そこで独居老人に拾われて1週間暮らしてみたりとか、高校出たばかりのやつらとたむろして、酒飲んでみたり、ヒッチハイクしてみたりだとか。そういう旅行を自分ひとりであてもなく続けていて。その流れで陸前高田の*中田のところに立ち寄ったんです。

―いろいろ情報は聞いていたと思うけど、その時どう思った?

谷沿:陸前高田には、朝の6時にバスで着いて、小友町の中田の所まで2時間半、何もない町を歩きました。あれは今後もう経験することはないと思いますが、悲しくも悔しくもないのに涙が止まらないんです。本当に何もない陸前高田の街。ただただコンクリートのものがたくさんあって、3月12日だったから、道に献花の花がものすごく鮮やかで、白黒の中にそこだけ色があるあの情景、あの空気感。でも、何か漂っているんですよね。いろんな思いが。それで号泣してしまって。

―中田の前でも泣いた?

谷沿:中田の前では、しっかり気持ちつくって行きました。でも、「どうだった?」と言われた時に、何も返せなかったですね。北海道の友だちに「中田の家に行ってきたよ」と伝える義務があると思って、一緒に写真を撮る気でカメラを持ってはいたんですけど、一枚も撮れなかった。正直、そんなことは考えつきもしないくらいの衝撃でした。

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