Interview #02
 

貿易の仕事→お笑い芸人→高田で
訪問リハビリサービスの立ち上げ、
その異色の経歴はどこに向かうんだろう?(西村)

インタビュー:2013/05/15
富山 泰庸 さん これがあったからこそ「こういう国になれた」という日本を作っていかないと、亡くなった命に対して申し訳が立たないと思うんです。 インタビュアー 西村 佳哲 さん 中3の頃の社会問題意識が今につながってるって、すごい事ですね。 富山 泰庸(とみやま よしのぶ)さんのプロフィール 西村 佳哲(にしむら よしあき)さんのプロフィール
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Q. 震災後、薬局と訪問リハビリ事業の
運営をするために、東京から通っているとか。

―陸前高田市で薬局と訪問リハビリテーション事業を運営されているそうですが、具体的にはどんなことをされているのですか?

富山:*とうごう薬局」という薬局を拠点に、主に高齢者の方々を訪問するリハビリテーションのサービスを提供しています。リハビリテーションって、病気やケガからの機能回復を目的にする訓練というイメージがあると思いますが、実はもっと広い意味があって「健康で人間らしく生きる」時間をできるだけ長く保つための医療支援なんです。うちは人が足りないんですけど、作業療法士と、理学療法士でチームを組んで、被災された方々が、少しでも健康に過ごしていただけるよう、訪問型のリハビリサービスを提供しています。もとはボランティア活動としてやらせてもらっていたのですが、長期的に継続する必要があると分かり、事業化に踏み切りました。

写真:富山さん

―先に薬局が立ち上がったのでしたっけ?

富山:はい、陸前高田と、*大船渡の薬剤師会から「薬局が流されてしまったので、出店できるものなら出してほしい」という依頼があり、薬剤師を探して、2011年の7月に立ち上げたのが「*とうごう薬局」です。隣の「あらや訪問リハビリステーション」を含めた全体としては、薬剤師の他に作業療法士が2人、理学療法士が3人、医療事務の方と事務員さんです。本来、リハビリには言語聴覚士というのも必要なんですけど、確保ができていないので、この体制で運営しています。

写真:あらや訪問リハビリステーション(陸前高田市 竹駒)
あらや訪問リハビリステーション(陸前高田市 竹駒)

―結構な大所帯ですね。東京から通いで来ている人もおられるんでしょうか?

富山:いえ。私以外はこちらに住んでいますし、事務員さんと療法士さん2人は、地元雇用です。
人手が足りないので、当初は通いの方もいたんですけど、うちは土曜日・日曜日も薬局をやっているので、地域に根ざしたサービスを展開するために、地元に常駐できる方しか採用しないようになったんです。
「通えますよ」と言ってくれた方々はいらっしゃったし、本当は、療法士さんがたくさんいるとありがたいんですけど、それでも、スタッフ間の連携不足は困りますので、今は常駐者しかいません。

写真:リハビリステーションのスタッフ
スタッフのみなさんとリハビリステーションにて

―富山さんご自身は通っていらっしゃる?

富山:はい、私は「通い」です。リハビリの事業だけに専念するなら東京に戻る必要性はまったくないんですけど、私は復興のために動ける人が足りない、と勝手に憂いている部分がありまして。

―と、いうと?

富山:現状では、市町村と県と国の縦割りの省庁のつなぎ役がいないことが問題です。例えば復興商店街。復興予算はあるのに、あまり助成金が下りていないんです。それから、再建のための融資さえ下りていない中小企業さんが多数あります。助成金も融資も、実情にそぐわない形の出し方が非常に多くて使いづらい。県と国と市町村の連携がうまくできていないから、使えずに余った予算は「年度中に使わなくちゃいけない」とかいって、結局違うところで使ってしまう。テレビでも報道されていますよね。

「これまで」にない被災地の惨状を考えれば、予算を執行するためには、「これまで」の法律の改正だって必要です。でも、現場の情報を提供しつつ、お役所や国を動かすための提言活動もやって行くという人が足りません。条例とか法律とかを理解して「ここがオカシイ、変えてくれ」と言える人が必要な訳ですが、私はそこでお役に立ちたいな、というのがあって、東京から「通って」いるという状況です。家は東京にありますが、車で往復するので、ある時期なんか、ほとんど*東北自動車道に住んでいたといってもいいくらいです。「高速在住」ですよ。

―なるほど(笑)。

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