Interview #02
 
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Q. ボランティア活動から、高田に縁がつながるまでのことを、教えてください。

―震災が3月11日に起こって、それから、どういう風に動かれたのか、お話いただけますか?

富山:3月12日、福島原発に水素爆発が起こって、枝野官房長官が「ボランティア、勝手に入らないでください。内閣府を通してください」と言ったので、これは大変だ、逆にすぐに行かなきゃ駄目だと思いました。放射能汚染が心配されていたので、女性には人や支援物資を集めるべく情報管理をお願いして、健康な男子で行きたい人だけぜひついて来てくれと。すぐにトラック3台を確保できたので、食料と毛布、必要な物資をできる限り積んで、当時ツイッターで流れていた被災情報を頼りに、石巻渡波を目指しました。「30〜40世帯の人が支援物資がないまま孤立している」という情報です。阪神淡路大震災のときに、災害救助法適用外の人たちが取り残されて困っていたのを知っていたので、僕らは避難所の外で動けない人たちの助けになろうと思ったんです。

写真:凝った身体のほぐし方を実践中(気仙沼の避難所にて)
誰にでもできる、凝った身体のほぐし方を実践中(気仙沼の避難所にて)

15日か16日の未明、現地に着いてみると、30〜40世帯どころではなくて至る所に災害救助法適用外の人たちがいました。例えば、1階が津波でやられたけれども2階は住める状態だから、と避難所から帰された人たちは、帰ったら最後、支援物資は来ないんです。電気も水もガスも使えない、食料もない、だけど買い物に行くための車や燃料も、もちろん店もない。

―命をつなぐための、アクセスができない。

富山:そうなんです。自衛隊がまだ入っていない時だったので、3台で行った物資も一瞬にして無くなりました。でも被災者の方々は、「もっと向こうのほうが大変だから」と言って、全部を取らずに、「あっちも行って」と分け先を教えてくれるんですね。これは何とかしなきゃいけないと、「どの地区に何世帯、どの物資がどれだけ必要だ」というのを、ゲリラ作戦で回ることにしたんです。岩手の野田村のほうから、下は福島、茨城県からも入って、避難所以外の、半壊家屋で電気がついていなくて、物資が足りない所を探しては、個別に訪問をしていきました。

―相当広い地域ですが、トラック3台でどうやったんですか?

富山:最初はトラック3台だったんですが、ツイッターやブログで状況を投げ続けていたので、僕らが石巻から帰る時、3日後には次の部隊が大槌に入っていました。いろんな所から送られてくる状況写真を全部SNSで流して、物資と人と車と集めては、ピストン輸送で被災地に物資を届け続ける毎日です。あの1カ月、2カ月は、無我夢中で、何をやっていたのか覚えていないです。車上生活ですね、車に住んでいました。

―ツイッターやブログを使って、自発的な支援の輪がつながって行った。

富山:SNSから、いろいろな奇跡が起きたんです。 例えば、石巻の網地島という離島では、地盤沈下のために、船が港に着けられず、物資が全然届かない。「空から動ければいいのに」とつぶやいていたら、「平成教育学院」で一緒に出演したラジオDJの林宙紀(はやしひろき)が呼びかけてくれました。それを名古屋のDJ、クリス・グレンという人がヘリコプターの同好会に声を掛けてくれて、有志の方がヘリコプターで米を運んで網地島に行ってくれて。その日のうちに、です。
そんなふうにして、3月末には130名を超える、顔も見たことのない人たちが、SNSを使って動いてくれていました。もう僕らの団体というより、その情報を使ってみんながひたすら「利他」のために、動いてくれていたんです。

写真:大槌町の民宿再生
大槌町の民宿再生のためのボランティア

写真:お笑い慰問活動
気仙沼と陸前高田をまわった、お笑い慰問活動。"もう中学生"や岡本まりさんらと一緒に

―いまのような活動に変わって来たきっかけは?

富山:2カ月、3カ月が経ち、緊急物資という段階が過ぎて、ボランティア団体「ロッツ」としては、2011年12月で物資による支援を止めることにしました。この先は、モノではなくて、心のケアが重要だということを感じていたからです。
傷ついた心の健康は、やりがいや生きがいがあれば復活してくれますが、それが無くなってしまった。東京大学の渥美先生によれば、生涯現役で病気にならない人には「夢(志)」と「感謝する心」、「プラス思考」の3つの特長があるのだそうです。「気の持ちよう」が本当に大切なんです。
そこで、高田で7月に開いた「*とうごう薬局」を拠点にして、まずはおじいちゃん・おばあちゃんのお話をヒアリングする事から始めました。いきなり訪問しても「何しに来た」と警戒されるので、「*とうごう薬局から来ました」といって、薬局関係者と、ボランティアさんとでお年寄りのお話相手になってもらったんです。

―最初は、メンタルケア的な関わり方で始められたんですね。

富山:はい、その延長線上で、コミュニティから切り離されて、つい運動不足になってしまうお年寄りが、「要支援」になり「要介護」になってしまう前にできることがある、その1つが、リハビリサービスだということが良く分かりました。すでに「訪問投薬」をさせていただいていたので、この枠組でなら「訪問リハビリサービス」を受けてもらえる、と思ったんです。

―なるほど、それで「あらや訪問リハビリステーション」ができたんですね。

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富山さんのとうごう薬局はこのあたりでした

とうごう薬局周辺の地図

プロフィール

富山 泰庸(とみやま よしのぶ)

ロッツ株式会社 代表取締役

プロフィール

西村 佳哲(にしむら よしあき)

リビングワールド代表
プランニング・ディレクター、働き方研究家

プロフィール

 

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